2004年 7月 12日(月)

国益と拉致問題

世の中、拉致問題で騒がれる今日この頃。
たしかに拉致は可哀想だし、それは否定しない。
でも、国益との関連で考えれば、果たしてここまで大騒ぎするほどの問題なのだろうか?
今の日本にとって、もっと関心をもつべき、より重要な問題があるのではないだろうか?


・・・な~んて形な話の流れがしばしばありますね。
これが私たちのシビリアンコントロール(切込隊長BLOG ~俺様キングダム)
拉致被害者は悲惨だし重要だが、外交にまで意見するのはどうなんだろうか(切込隊長BLOG ~俺様キングダム)


このロジックは、拉致問題を軽視したい人たちにとっても都合がいいので、これからも時々出てくるかもしれません。

でも、上のような話の進め方って、なんかおかしくない?

拉致問題とその他の外交問題とどちらがより重要だろうか?という形で問題提起をしてるわけですが、
そもそも、どちらがより重要だろうか、なんて考える必要があるのでしょうか?
どちらがより重要であるかを考えなければいけないのは、それぞれの問題が矛盾するときです。
一方をとれば、もう一方がダメになる。
そういうときであれば、どちらかを選択しなければならないから、重要性の問題について考えなければいけません。
しかし、拉致問題と必ずしも矛盾しない問題をわざわざ比較して、どちらが重要であるかなんて考える必要は全くないでしょう。
拉致問題、その他の問題。両方、大切な問題であれば、どっちも大事です。

自分が関心のある問題が世の中に取り上げられない、その苛立ちはわかるけど、だからといって、拉致問題をあえて貶めてまで、その他の問題に注目を集めようとするのは、いやらしい、と言いたくなります。
拉致問題が世の中に取り上げられるまで、いったいどれほどの時間がかかったのか、その間の当事者の苛立ちはどれほどだったのか。
そういったことを考えるなら、自分に関心のある問題が世間の話題にならないからといって、拉致問題を必要以上に貶める発言は、決して好ましくは思えません。


また、拉致問題はワイドショーに多く取り上げられ、そのワイドショー的な切り口で、多くの人々に提供されているけれど、その部分を批判することと、拉致問題自体は全く別なわけで、それこそワイドショーに取り上げられない重要な世の中の問題があるのと同じように、拉致問題にもワイドショー的なものとは別の重要な問題もあるでしょう。


■「国益」の名のもとに、拉致問題を、問題なしとしてしまう思考法。

ま、これは拉致問題でなくても、なんでもいいんですが、
「国益」という大きな看板を打ち立てることによって、ある問題を矮小化しようという戦略があります。
これはそれなりに使えるんで、何かことを進めようというときに、これからも使われるでしょう。

もちろん国益は大切ですから、それが本当に国益であれば、そこには十分な正当性があります。
ただ「国益」がそもそも本当に国益なのか?ってことについては、注意深く考えなければいけません。
国益の裏に私益が隠されているにもかかわらず、国益という大きな看板の裏でそれが見えづらくなって、パワーエリートのなすがまま?
なんてのが自分の支持する国益の正体だったら、笑うに笑えません。

拉致問題が最近までずーっと無視されてきたのも、国益という大義の裏に、私益があったからではないか?という疑惑は、「シビリアンコントロール」の観点からは決して「とびきり重要な問題ではない」なんてことは言えません。


自殺者年間3万人だ、交通事故による死亡者は年間何人だ、なんて話が、拉致問題を些細な問題にしたい意図から、しばしば出されます。
この問題提起は、拉致問題を考えるにおいて、提出者の意図とは別の点から、重要な意味があります。

単に数の比較において、交通事故による死亡者のほうが、拉致被害者のそれより圧倒的に多い。
その数量比較において、拉致問題は、交通事故問題より、些細な問題だ、というのが提出者の狙いなのでしょう。
でも、ね。少なくとも、交通事故は、みんなに公平に起こりうるわけです。
権力や社会的地位やコネに関係なくね。
で、拉致問題は?


国家安全保障上の理由により、キム・ジョンナムは北朝鮮に送り返され、
国家安全保障上の理由により、ある日本人が北朝鮮に連れ去られるという事実は見過ごされる。
身柄の取り扱いは、交通事故とは違って、公平に行われるとは限らないわけです。
同じ日本人でも拉致される人と、拉致されない人がいる。
例えば、小泉孝太郎を北朝鮮が拉致することはないでしょう。
もし、間違えて拉致されたとしても、帰ってこれる人はすぐに帰ってくるでしょう。
キム・ジョンナムがすぐに北朝鮮に帰れたように。


結局、決して拉致されることのない人々が、裏に私益を隠した国益の名のもとに、結果として国民を人身売買してた、っていうのが、ワイドショー的ではないけれども、拉致問題のまたひとつの側面としてあるのではないでしょうか。
そして、それは今も起こっていることであり、これからも起こりうることである、というような危機感をもつことが、本当の「私たちのシビリアンコントロール」ではないかと思いました。

今、自分が売り飛ばされていないってだけのことで、そのパワーをもつ人の口車に乗って、彼らの肩をもって、気がつけばおいしい思いをしてるのは彼らだけ、ってーんじゃ、ね。


※おまけ:ネオコン的ディズニーランド

ハッ?ネオコン的ディズニーランド?
楽しけりゃいいじゃん。
難しいことなんてどーでもいーよ。
どーせ、民度低いんだろ。バカなんだろ、俺たち。
・・・って感じに、僕もなりがちだったわけで。

まー、ディズニーランドで遊んでいるだけならいいんだけどね。
「あれ?あいつどこ行った?迷子になったのか、しょーがねーなー」
なんていって、人身売買されてた、ってーんじゃ、話にならないね。

モエドール出禁じょにぃでっぷりん [2004年07月12日 13:26] | コメント (2) | Edit
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『 国益と拉致問題 』 へのコメント
1 名前:  :2004/07/12(月) 14:05:40 ID:zpljpU7I

物事に優先順位が決められない奴は負け組。
重要度が判断できない奴は人の上に立てない。

お前の書いてることは感情論だな。

2 名前:じょにぃ でっぷ りん :2004/07/12(月) 14:36:04 ID:hI957fnc

どうもコメントありがとうございます。
私を一目で負け組と見抜くその眼力おみそれしました。

で、その優先順位なんだけど、その優先順位ってのも、立場によって変わってくるのではないでしょうか。
つまり、あなたのような勝ち組と私のような負け組とでは、ね。
その部分を隠蔽したまま話が進んでしまうことに危機感を持つことも、「私たち(?)のシビリアンコントロール」にとって大切な問題だと思うわけです。

「私たち」という言葉の意味は「私たち(勝ち組)」なのか「私たち(負け組)」なのか「私たち(信者)」なのか「私たち(etc....)」なのか、どういう意味なのかってことをね、チラッと上のエントリーで言ってみたわけです。

その部分を曖昧にしては話は進まないはずなのですが、その部分を曖昧にして話を進めたい人もいるわけですね。